※前回からの続きです。
同僚が授業中に電話をしてくるときはたいてい急ぎの用だ。
その少女、大井理沙が入塾してきたのは中学1年生の時だ。
真面目に勉強するつもりがないのにどうして学習塾に通うのか、と思われるかもしれないが、本人の意思がどうであれ、親が強制的に通わせる事だってある。
初めはよくある反抗期の女の子という感じだったけれど、次第に反抗の態度はひどくなっていった。
授業は70分なので、生徒の集中力が途切れかけてきたと思えば、授業からあえて脱線して興味を引く話をする。
学生の講師からは、「大井、なんとかなりませんかね!いっそ退塾してくれたら、って思いますよ」
塾では3か月から半年に一度、生徒と面談をする。
さて、大井理沙との面談の番が来た。
講師室に机を置いて、お互い向かい合うようする。
河野「大井、こちらを向け。ちゃんと話がしたいんだ。」
こいつー!と少しムッと来たが、しかし席を勝手に立ってスタスタ帰らないだけましである。
分かったのは、俺は他の講師と同じ、全くあいつに信用されていない、という事。
他で面談をしていた講師が集まってきた。
大井の態度をみて、正直こちらも不愉快になった。
面談期間がとりあえず終わった。
二人で向き合ってももちろん話にはならない。
その次の授業の時、また大井を呼び出した。
初めは、大井の気持ちの奥深くまで理解してみようとか、大井をもって知ってみたいというた気持ちだった。
初めは相変わらずの不愛想な態度だったが・・・それが次第に変化が表れてきた。
毎回大井を呼んでいたのだが、ある日用事が出来たので、大井には何も言わないでいたら・・
僕は嬉しかった。
諦めないでよかった・・・
その日を境に、僕らは急速に関係が近くなった。
大井理沙のクラスでも同じように挨拶をした後・・・
塾内では、講師と生徒とのスマホの個人的な連絡交換は禁止されている。
夏になり、子供たちが夏休みに入ると夏期講習会が始まる。
近隣の数校の教室が集まってする合同の夏祭り。
この日のバンド演奏のために深夜まで練習をしたかいがあった。
大井は浴衣を着て、それがとても似合っていてかわいらしい。(*^-^*)
それから「じゃ、ねー」と手を振って歩いてゆく大井の表情は幸せそのものだった。
最近ずっとメールが来ないと思ったらこういうことだったんだな。(#^^#)
それから夏も終わり、秋には中学3年生は受験勉強の追い込みに入って行く。
吉田「河野先生・・・中学3年の大井理沙・・・・昨日亡くなったそうです・・」
大井の葬儀の日は小雨が降っていた。
大井がクリスチャンだというのはこの日に知った。
お母さんに一言お悔みの言葉を言わせていただきたいと思ったのだが、それはかなわなかった。
痛い・・心が・・・。
彼女はなぜ死んだのだろう・・いまだわからない。
あの頃、彼女とのメールのやり取りもいつしか疎遠になっていたけれど、もしもあの時、地道に連絡を続けていれば・・・彼女を死なせることはなかっただろう・・・
たまに昔の教え子が遊びに来てくれる。
人は皆、誰でも忙しく日々を送っている。
いつもの学習塾での中学生の授業中・・・
教室をノックする音
受付の職員「授業中失礼します。河野先生、吉田先生からお電話が入っていますけど・・・どうします?」
突 然 の 電 話
僕は生徒に問題を考えさせて、いったん授業を中断して事務所に急いだ。
受話器を取る
河野「はい、河野です。」
吉田「河野先生、落ち着いて聞いてください・・・」
吉田先生の声がいつになく真剣だ・・・
河野「あ・・ああ。」
吉田「河野先生がいつも気にしていた中学3年の大井理沙(仮名)・・・・昨日、亡くなりました」
一瞬、吉田が何を言っているのか理解できなかった。
河野「・・あ・・えっ・・な・・・」
と、声になりません・・・
吉田「マンションから飛び降りて・・・自殺したそうです・・・」
それからは頭が真っ白で、しばらく何も考えられなかった。
出 会 い と 絆
本人が反抗期なのもあってか、真面目に勉強するつもりがないので当然成績もよくなかった。
しかし、頭のいい子であることは分かる子だった。
そう、普通にある。
中学2年では、講師の多くが敬遠していた。
授業中はいつも不機嫌で、当ててもふてぶてしく「わかりません」しか言わない。
※塾の方針として、授業中はどんどん生徒に当てて答えさせるようにしている。
もちろん本当にわからないのではなく、何も答えたくないのだ。
大井理沙のお母さんとは入学時から何度も面談を繰り返しているが、ごく普通の方で家庭で何か問題を抱えているようには思えなかった。
もちろん教室責任者として、そして担当講師としての面談であっても家庭内のいろいろを知りえるわけはなく、表面的なものを感じ取ることしかできないのは仕方のない事だった。
笑いを取るためのネタ作りも大切な予習のうちだ。
クラスで生徒が爆笑している時にも大井は
「しょーもな!!」
※関西弁で、しょーもない→くだらない という意味。
と吐き捨てる。
授業が盛り上がっている時に、一人そのような場をつぶす子がいると授業がやりにくくて仕方ないのだ。
一事が万事このようで、ほとほと困っていた。
もちろん機会を見ては何度も本人と話をするのだが、聞く耳持たず、と言った感じで取り付く島が無い。
という声が上がるのは自然の事だった。
学習塾は学校ではない。
学力別にクラス編成がされてあり、指導の内容もクラスによって違う。
全員がやる気のある子供たちではないが、それなりに必要を感じてやって来てくれている。
その、それぞれの気持ちをもっと向上させて継続させ、学習意欲がわくように創意工夫するのが我々の仕事なのだ。
教室の雰囲気を意図的に壊す生徒は迷惑なのである。
授業を終わってからだと生徒の帰りが遅くなるので、面談は授業中にするのである。
「面談期間」と称して授業中にまとめテストをしてもらい、その間に一人ずつ呼び出して5分くらい話をする。
学習全般について困っていることや悩んでいること、学校での様子、授業での先生に対する要望などあらゆる事を引き出すようにする。
この面談は意外と大切なのだ。
授業中以外での生徒の顔を知る機会になるからだ。
そして、この情報と親との面談を通して「その生徒」をより深く知るように心がけるのである。
面談は講師室で行う。学校で言うところ職員室だ。
普段は事務をしているバイト学生以外、他の先生は授業中だから講師室は静かだ。
しかし、面談週間では他のクラスの先生も同じように面談をしているから、それなりに声が響いてくる。
そこに先生と生徒が話ができるようにするのだが・・・
大井理沙はこちらを見ない。
椅子を90度横に向けて、完全に拒否の姿勢をしている。
腕を組んで、これでもか、というふてくされた態度で座っている・・・
↑実際は画像の様子よりもっとひどかった・・・( ;∀;)
大井「・・・・」(完全にシカト)
まあ、こんな態度に出るだろうとは予想していたから腹も立たないが、一切話さないとは困ったものだ。
まずは形式的に成績の話をしてみる。
中間テストの成績が良くなかったことから、期末への準備としてどうしてゆこうか一緒に考えてみよう、という話・・・
無視。
授業中の態度について、何が不満なのか原因を知りたいので教えてくれないか、という話・・・
それも無視。
塾へ来る意味は何なのか、大井の気持ちを聞かせてくれ、との話を最後まで言い終わらないところで・・・
大井「なぁ!! もうええやろ!」
と大きい声を上げる。
これ以上話しても意味はない。
河野「わかった。じゃ、帰りなさい。次は飯田を呼んできてくれ」
大井理沙はプイ、と立ち上がって出て行った。
「室長が大井と面談をしている」という事で、生徒と面談を行いながらもこちらの会話に耳をダンボにしていたのだ。
講師1「あいつ、めちゃむかつく態度ですねーまったく」
講師2「俺はあいつとの面談は無理っす」
しかし、なぜだろうか・・・
腹が立つのではなく、大井の態度そのものに「何があいつをそうさせるのだろう」という気持ちがわいた。
大井理沙との粘りあい
中学生の授業は、通常、数学・英語の2コマあり、間に10分の休憩時間がある。
そして数学の授業が終わると僕は大井に声をかけた。
河野「大井、休憩時間に講師室に来てくれ」
大井「何で?!」
河野「面談だよ」
と言ってにやりと笑う。
大井「前にやったやろ!」大井の目は吊り上がっている。
河野「お前とはもう少し話したいからな」
大井「誰が行くか!!」
そこで俺は声を荒げる
河野「いいから来い!!」
言ってもまだ中学2年生だ。しぶしぶ大井はふてくされて講師室にやってきた。
こんな言い方は良くないことは分かっている。しかし、まず話をするきっかけを作らなければならなかった。
こんな形で呼ばれて素直に話すやつなどいない。ましてや大井理沙なのだから。
出来るだけ笑顔でやさしい口調で問いただしてみるが、大井にしてみればそれがまた一層むかつくのかもしれない。
大井「何で私だけ何回も呼ばれなあかんのん!!」
かなり怒っている・・・(*^-^*)
それでも、次の時もまた次の時も僕は大井と面談をした。
だが、その時は意地の方が強かった。
絶対大井と向き合って話をしてやる、と。
90度横を向いて全くこっちを見なかった彼女が、80度くらいの角度になり、次は60度・・・45度・・と面談を繰り返していくうちにこちらを向くようになったのだ。
会話も、初めはこちらが一方的に喋るだけだったのが、「会話が成り立つ」ようになってきた。
自分の事を話すようになってきたのだ
少しずつ・・少しずつではあるが彼女の心が開けてきた。
大井が廊下で僕のところに寄ってきて。
大井「なぁ、今日は面談ないん?」
と言ってきたのだ。
その表情は、ちょっと照れたような、相変わらずふてくされたような、恥ずかしさがにじんだような・・・なんとも言えない顔をしていた。
大井が、自分を少しでも信用できる大人として受け入れてくれたことが・・。
本当にそう思う。
初めは「なんなんだ、こいつは!」と思っていたけれど、粘り強く頑張っていけば必ず人を変えられるものがある。
それを彼女が教えてくれたのだ。
普通に挨拶をし、授業中も笑い、とても楽しいクラスへと変わっただ。
大井理沙は確かに問題児の時期があった。
しかし、根は純粋でよい子なのは明らかだ。
こちらが何度も面談に呼んだ時だって、ふてくされながらもとりあえずは来るのだから。
本当に歪んでいたら無視して来ないだろう。
次の春、僕は数駅離れたのところの教室に転勤になった。
塾で転勤というのは珍しいことではなく、4~5年経つと移動がある。
最後の授業の日、全クラスごと生徒たちに送る言葉を述べ、きちんと挨拶をしてゆく。
授業が終わって職員室に戻ろうとすると、廊下で大井が待っていた。
壁にもたれかかってぼーっとした感じでいたので声をかけると
大井「先生・・・いなくなるんや・・・」
河野「ああ、黙っててごめんな。塾の方針で前から伝えられなかったから・・・」
大井「なんや・・せっかく・・せっかく、私の事をわかってくれる先生見つかったと思ったのに・・・」
と下を向く。
この言葉には、さすがにこっちが泣きそうになった。
こんな自分が移動することでも、彼女は明らかにショックを受けてくれている。
それを教室責任者がルールを破ってはいけない。
でも、大井だけは今後の事が気がかりだった。
だから、ルールを破って連絡先を交換したのである。
その後、1か月に1度くらいの頻度で様子を送ってくれていたのだが・・・。
夏 祭 り
そしてその合間の休みに、塾主催の「夏祭り」を開催するのだ。
中学3年生にとっては「受験の夏」で必死なのだが、この日だけは息抜きをしてもらいたい。
市民公園を借りて行うもので、屋台を出して大規模なバンド演奏をしたりの、なかなかの規模である。
運営は、塾の職員やアルバイト総出の「手作りの祭り」である。
実際、この日のための準備でかなりの体力と時間を消耗するのだが・・・
夜の8時ごろ自分のステージを降りると、大井理沙が僕のところに駆け寄っててくれた。
大井「せんせー!! ステージよかったよー!!」
横には彼氏を連れている。(^^♪
茶髪で今風の男の子だ。
少し彼と話して分かったのだが、この子も素直でとても笑顔がいい。
そして僕は彼に言った。
河野「二人いつまで仲良くな。そして、大井を大切にしてあげてくれ。頼むよ」
彼氏は大きくうなずいた。
よかった。
あんな笑顔を作らせる彼が出来て・・・。
そんなある日の夜の授業中に、同僚の吉田先生から1本の電話が入った。
喪 失 感
塾からは、僕をはじめ中学3年生の担当者全員が参列させていただいた。
会場では大勢の同級生も参列していて、あちこちで泣き声が聞こえる・・・。
キリスト教の葬儀は、お棺で眠っている故人へ一人一人花を納めてゆく。
大井の顔は半分を布で隠されていた。
マンションから飛び降りたと聞くが、どれほどの恐怖と喪失感、哀しみが彼女を襲ったのだろうか。
いや、もう恐怖などは超えていたのであろう。
いったい何があった!
彼女の、布から現れる顔半分を見たとき、涙が止まらなかった。
嗚咽が出そうになるのをかろうじて抑えるのに必死だった。
お母さんは棺の横で、座ることもできない状態でずっと泣き叫んでおられたのだ・・・
その体をご主人様が支えておられた。
僕の周りにも、いままで知人、親戚、両親が亡くなっている。
しかし、大井理沙の死はそれまでの誰とも違う。
一生忘れることはない。
夏祭りで見たあの笑顔・・・
今でも、昨日の事のようにはっきりと思い出すことが出来る。
後悔のかわりに
絶対に。
塾の廊下で、彼女は下を向いて言ってくれた
せっかく・・せっかく、私の事わかってくれる先生が見つかったと思ったのに・・・と。
死を決意する前に必ず何かのサインを送ってくれたはず・・・
そう考えるのは自分の傲慢だろうか。
何より、「もしもあの時」は、意味のない言葉だ。
「もしもあの時」と後悔の念が広がり始めたとき、それは自分自身「今を生きていない」ことだ。
後悔は意味がないと言ってしまえば語弊があるだろう。
後悔ではなく「反省」し、それをこれからの行動に変えるべきなのだ。
前回にも書いた、偶然訪れたお客様が教え子だった、というのも二人いた。
そのたびに大井理沙のことを思い出さずにはいられない。
あいつも生きていたら、この子たちのように結婚して子供が出来ていただろうな・・・と。
その中で優先事項を決めて、影響のないものは後回しにする。
後回しにするものの中で、人との関係に関しては、それは疎遠となりいつしか消失してしまう。
それも仕方ないものもあるけれど、大切にしておきたいと思っているものだけは、後回しにしてはいけない。
後悔しないためにも。

あの子が教えてくれた
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教え子






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