京都の嵐山近くに鈴虫寺というお寺があります。正式には華厳寺というそうですが、鈴虫寺と呼ばれる所以は、6000匹の鈴虫が1年中鳴いているからなのです。
そのお寺の話はお客様から聞き、早速行ってきました。
珍しい鈴虫と、どんな願いでも一つだけ聞いてくれるありがたいお地蔵様がいる、ということだけ聞いていたのですが・・・
しかしそのお寺の本当の魅力はご住職の説法にありました。
説法を聞くために遠くから来られる方もたくさんいて、紅葉や観光時期など3時間待ちなどざらだそうです。
行かれるとその意味がよくわかります。
昼過ぎに行った僕は、入り口からずっと並んでいる列が何かよくわかりませんでした。
だって鈴虫を見るためにやってきた程度の気持ちでしたから・・・
しかし、最後尾に並んだとたん列が動きだしてすぐに中に入ることが出来ました。
講和は40分ほどで、ちょうど前の回が終わって次の回の入れ替え時間だったのです。
待つことなくそのまま講堂へ。
300人は入れる畳の部屋に通されました。
長机には一人ずつお茶と鈴虫寺特注のお菓子が置いてあります。
40分後・・・
話を聞きに来る人が多い意味がよくわかりました。ご住職のお話は心に響くとてもよいものでした。
そんな中でも心に残ったお話があります。
ご住職の尊敬される方から聞いたお話から引用されたものとおっしゃっておられました。
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震災で家を失った方が途方に暮れて、お寺にやってきたそうです。
この先どうやって生きていけばよいのやら・・・どうしたものでしょうか・・というものです。
住職は言います。
今はとても辛いときでしょう。
とても悲しいでしょう。
しかし、すべて受け入れなはれ。
身の回りに起こったことをどうかありのまま受け止めて生きなはれ。
もし、死ぬことがあったとすれば、それはそれ。死になはれ。
これだけ聞くと、なんて身もふたもない冷たい言い方だと思うかもしれません。
しかし、そのご住職が言いたいのは、「人間、どんな状況に置かれても事実をありのまま受け止めて生きていく【覚悟】をもって生活していきなはれ」
ということなのです。
「そんな覚悟を日々意識して生きていくことで、運気が開きます、まわりが変わります」ということを伝えたかったようなのです。
スピリチュアル的にいえば「すべての事柄は偶然ではなく意味がある」ということですね。
住職のお話は大変勉強になりました。
何より話の流れが見事です。
①世間一般の話題から笑いを何度も取り、聴衆を和ませます。
②他に依存しないように、自身の姿勢にくぎをチクリと刺します。
※良い話をきいて自分で生きる道を見いだす方ばかりとは限りません。何度も電話をかけてきたりなど依存体質の方もおられるわけです。
③悩みや願いをもって来られた方自身の、生き方を振り返らせます。
④本題の「生きる力」の話。
⑤最後に「お地蔵さんのお守り」を買っていただく営業トーク。
これら嫌味のない自然の流れが見事です。
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生きる力の話は聞いてためになると思うので、どうか皆様も時間を作られてぜひ拝聴にいかれてはいかがでしようか。
おすすめのお寺です。
ただ、住職はいろんなところに講演にもいかれます。
説法されるのはいろんな修行僧の方が担当されますので、話の内容に「当たり外れ」があることはお断りしておきますね。
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さて、INORIでもそうですが、皆さん一生懸命生きていらっしゃるからこそ、これからのアドバイスを欲しておられる方がたくさんいらっしゃいます。
鈴虫寺の説法もそうですが、言われなければわからない大げさなことではありません。皆さんちょっとしたきっかけが欲しいのですね。「背中を押してほしい」そんなきっかけが・・・
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時代はいつも変化をし、流行や好みが変わってゆきます。思想さえもね・・・
でも、変わるものと変わらないものとはいつも共存するものです。
人は、生き方においてはいつも試行錯誤しながら悩んでいる・・・これは人の常なのではないでしょうか。
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