最近「狐のペンダントトップ」を入荷しました
フローライトの、それは綺麗なペンダントトップとテラヘルツのペンダントトップです。
中国に仕入れに行くと、いろいろなところで「狐」の形をした置物やアクセサリーがあります。
なんでこんなに狐が多いのだろう・・・と、ずっと気になっていたのですが、今まで手を出さなかったのは、「狐」は日本では商売繁盛の神様の使いと言われる一方で、「祟り」などのネガティブなイメージもあったからです。
お稲荷様への誤解
「お稲荷様って狐、つまりは動物を祀っている?」 とか、「4本足の生き物を拝むなんて間違った信仰だよ」など聞くことがあります。
また、「狐は祟りがある」 と信じ込んでおられる方もいらっしゃいます。
つまり、お稲荷様を「下等な神の使い」として扱っていることの人がいることに、以前から少し引っ掛かかっていたのです。
しかし、僕自身がきちんと説明できるほどお狐様に対して知っているわけでもなかったので、この機会にしっかりと調べてみました。
お稲荷様は神道?仏教?
確かに、お稲荷様は神社にもお寺にも 祭ってあるので、どちらの拝み方をするのが正しいのだろうか、と思いながらも、僕はその時々で何となくやっていました(#^.^#)
神道のお稲荷さんは、茨城県の笠間稲荷神社や、佐賀県の祐徳稲荷神社などがありますが、総本社は伏見稲荷神社です。
仏教系のお稲荷様は、愛知県の豊川稲荷(圓福山妙厳寺)や、岡山県の最上稲荷(最上稲荷山妙教寺)が有名です。
その違いなのですが、神仏系の稲荷神は「 宇迦之御魂神 ( うかのみたまのかみ ) 」という農耕の神様で、五穀(米、麦、粟、きび、豆)豊穣を守護しています。
お稲荷様というものは、その名の通り「稲」に関する神様です。
そもそも稲とは「命の根」を意味し、その稲が生る=いなり、ということから、お稲荷様と名づけられたそうです。
そして、「狐」はこの稲荷神の使いとされる霊獣で、人々に稲荷神の意思を伝えたり、時には神に代わって人にご利益を授けるなどの仕事をしているのです。
一方、仏教系のお稲荷様は荼枳尼天(だきにてん)で仏教の神である、インドのヒンドゥー教の女鬼に由来します。
仏像としてよく見られるのが白狐に乗る天女の姿で、剣、宝珠、稲束、鎌などを持物とした姿をされています。
そもそもなぜ二つに分かれたのでしょうか。
明治の神仏分離で分けたとも考えられています。
神仏分離(しんぶつぶんり)とは、「神仏習合」の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させることです。
それまでは、仏教が主、神道が従、と考えられていて、平安時代には神前での読経や、神に菩薩の名前を付けるなどが多かったのです。
もちろん神道側からは、神道を主、仏教を従とする説が出されたりして、なんとそれは平安時代から混乱があったというのです。
それで神道系のお稲荷さんと仏教系のお稲荷さんは、お祀りされているご本尊が違うのですね。
お稲荷様の使いはどうして狐なの?
確かに・・・
別に狐でなくても、犬やタヌキや白鳥という候補はなかったのでしょうか。
仏教のお稲荷様は、荼枳尼天(だきにてん)という神様であることはすでに述べたとおりで、荼枳尼天が乗っておられる霊獣が、狐だからです。
ただ、このあたりも所説ありよくわかりません。
お稲荷様は商売繁盛の神様?
本来はそうではありませんでした。
日本人は農耕民族であったため、豊作を神さまに祈りました。 五穀(米、麦、粟、きび、豆)豊穣を守護しているのはわかります。
ところが、江戸時代辺りになってくると、商人の力が強くなってきました。
しだいに、神さまへのご祈願が「豊作→商売が繁盛する事、裕福になる事」になって行き、商売繁盛の神さまというように一般に広がっていった、というわけなのです。
狐の祟りはあるの?
そんなありがたい神様の使いであるお狐様ですが、なぜ「祟り」と結びつくのでしょうか。
これは全く間違った理解からなるイメージが広がっていったからなのです。
邪気をまとった霊が稲荷大神さまと偽って出て来て、人間が本当の神さまと勘違いして祀ったりすると、確かに急に霊能力がついたり、運気が一気に上がったりと不思議な事がいろいろと起こります。
すると、素晴らしい神様であると信じてしまい、どんどん様々な要求にも応えてもらえるようにと、人間の欲が身分不相応にお祀りをして行く事になるのです。
ところがこの邪霊は、人が途中で祀るのが面倒になって祀りをやめたり、また自分が人に行なった見返りがないとわかると、急にいじわるしたりします。
すると、家族や身内が変死したりとんでもない不幸にさいなまれたり、不幸のどん底人生となってしまう事もあります。
これが「狐の祟り」と言われるものなのです。
一説によると、お稲荷様のお使いは、霊狐であって眷属神さまであり、単に狐の姿をしていらっしゃているだけで、決して動物の狐などではない、という説もあります。
永い間修行を積まれ研鑽された神さまのお使い、つまり神霊なのだということです。
もともとその地土、その地方、国を守る五穀豊穣の神様なのです。それが分かれば、そのような神様をお参りする際にも、日々の感謝と見守っていただくことが一番であって、個人的な願いを聞いていただける存在ではないようにも思えます。
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