豚に真珠、猫に小判・・・
興味のないもの、知らないものに対しては、いくらそれが価値があろうと全く無価値であるのは、言ってみれば自然なことかもしれませんよね。
お正月に田舎へ帰ってそんなことを思いました。
僕か小さいとき、父が休みの日に日本刀を丹念に手入れしていたのを覚えています。
日本刀を垂直に持ち、粉のようなものをポンポンと叩いて手入れしている姿を見たことがあります。
たぶんその行為が精神を落ち着かせる何かがあるのだろうな・・というのは子供心にも理解できました。
その日本刀はあれからずっと見ないでいたのですが、今年、何十年ぶりかでそれを拝見できたのです。
父によると昔は2本あって(どうやら昔から家にあったもののようです)、一本は、山の竹の木を切るのに使って刃がボロボロになって使い物にならなくなったから捨てた、というのです。
今でも残っている1本で、その出所(作者など)を調べてみると、とても価値のある名刀らしいのです。
難しい図鑑にその資料があって、コピーして一緒に保存していました。
あと、隣に大きな蔵を持つほどの豪邸があったのですが、ある事情でその家がつぶされたのです。
当時の僕は中学生でしたが、お付き合いのあったその家の蔵を整理する作業に強制的に連れていかれたのを覚えています。
わざわざ大阪から島根まで・・・
整理した中に大きなツボがありました。
60㎝くらいの大きさでしょうか。それも数個。
整理したお礼に、とそのツボをいただいたのですが・・・はっきり言って当時はありがた迷惑でした。
仕方がないので、我が家では長い間、傘立てや庭の土入れにしていました。
いずれそれは壊れることになったのですが、後でそれがすごい価値のあるものだと分かったものの後の祭りでした。
知り合いの話です。
戦国時代から残っているという見事な槍があったそうです。
槍そのものの価値はともかく、その存在だけでもすごいと思いませんか?本物の槍ですから。
姫路城にも飾ってありますね。
知り合いはその槍を・・・なんと・・・物干しざお代わりに使っていました。
長さがびったりだということで・・・
これらは骨董品の類ですが、これに似たことって周りには結構あるような気がします。
ある人にはお宝でも、興味のない人には全く価値の持たないもの・・・
実は天然石でも同じことが言えるのですよね。
超レアで、なかなか目にすることのない天然石で、それが今、目の前にあるという感動・・・この感動を泣きそうになるのをこらえながら力説していても、興味のない人からすれば・・・
「だからそれが何?」
で終わってしまうのです。
それが分かっているから、長い間、うちではお正月の「福袋」なるものは作らなかったのです。
興味のないものをもらっても単なるゴミになったら石もかわいそうだし・・・そもそも買ってくれるか?という感じで。
過去にいろんな福袋を買って苦い経験もありましたから、せめてウチのは「得した!」と思えるものを詰めよう、と頑張ったからか、今年も結構好評でした。
これからは毎年小さなお宝を入れますので楽しみにしておいてください。
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