自分の子供には一切争いのシーンを見せない、という友人がいました。
テレビや映画もディズニー系のものが多いのです。
そう、友人の教育は「争い」より「認めあう共存」です。
とても素晴らしいと思いますが、当時の僕は賛成できませんでした。
なぜなら、悲しいけれど今の世の中でそれはあまりにも無防備のように思えるからです。
残酷なものを目にしたりひどい行為は、時として心を病ませます。
けれど、それも現実だと受け止めながら成長してゆくことも強くなるための要素だと思えたからです。
しかし、今は考えが変わりました。
子供たち・・・私たち大人もそうだったのですが・・・幼少の頃から身の回りはいつも「争い」ありきの世界だと教えられてきました。
テレビのCMでも普通に武器をもって人を傷つけるシーンは何度も何度も出てきます。
ゲームソフトのCMは間違いなくそうです。
それが受け入れられてしまうのが、正義のイケメンと悪のバケモノという構図だからです。
化け物が剣を持つと怖くても、イケメンと美女ならカッコいい、のです。
「悪」で言えば、ドラマや映画では必ずとんでもなく悪い奴がいて、それを成敗する正義のヒーローが用意されています。
アニメでも何でもです。
あの人気アニメのワンピースでも、吐き気のするような悪人が用意されています。
私たちはこう洗脳されてはいないでしょうか・・・
悪い奴は必ずいるのだ、と。
それは倒さなければなりません、と。
もちろん私たちは大人になるにつれて、悪い奴がそう単純ではないことを知ります。
そもそも「わるいやつ」って何でしょうか。
悪いやつらにも様々な背景があり、事情があり、何より「悪」も文化の違いや時代によって見方がかわることも知っています。
世界の過去の殺し合いも、一方から見ればこちらが正義で敵は「悪」なのです。
今では争いの前に「相手の事情も考えてみよう」、そして解決する手段を探ろうという知恵も身についてきます。
それを子供の頃から、なぜもっとそのような思考法で取り巻く環境にはしないのでしょうか。
ずっと以前、競争をすることは良くないということでおかしな平等が生まれました。
小学校のリレーで全員がゴールしたり、演劇では主役を演じる子が何人もいたりなどが記憶にあると思います。
それは極端だとしても、「競争はよくない」という風潮がそのような誤解を生むケースに発展したのだと思います。
僕が学習塾業界にいる時に、そのような時代では逆に業界では「追い風」だといわれたものです。
競争は社会に出れば避けては通れないものだ、就職にしろ結婚にしろ、出世にしろすべてが「競争」ではないか、
だから子供たちには、受験を通して競争の意識をしっかりと植え付けて、自ら生き抜くことを教えてやることが必要なのです!
という考えです。
筋が通っているようですが、僕にはどうしても、心のもやもや感がぬぐいきれませんでした。
「競争」って相手より自分が前に出ることかな・・・
それに勝ったとしても、また次の競争、また次の・・・と終わりがないではないか・・・
「競争」ありきだと考えるからそうなってしまうのです。
結果的に勝敗はあります。
しかし、目的が大事なのではないでしょうか。
企業でいえば、小売りの商店から大手のメーカーに至るまで、「相手が喜ぶことをこちらも喜んで努力する姿勢の本気度」で勝敗が決まるのです。
一言で努力といいますが、それは並大抵のことではありません。
それを身につけることって一生の課題でしょう?
やり方は人それぞれなのですから、そのようなことをもっと教えてゆくべきだと思います。
そして本来は競争ではなく、人同士の共存の仕方や認め合う心の方法を教えるべきではないのでしょうか。
それに「競争」って、ある程度年を取るとわかってきますが、相手は自分自身ですよ。
自分の弱さと強くありたい意思との競争・・・その葛藤です。
不動明王が炎とともに切り裂く邪気そのものは、だれでもない自分自身の弱さなのですから。
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